Chapter45 公開 (1/1)

それからの日々は、多くの退屈と僅かな刺激で、成り立っていた。

俺は、その年の六月に本庁に戻り、そのまま部署を異動した。統制局第一課の同僚たちは、突然の帰任と異動に驚いていたが、それもすぐに忘れ去られることだろう。次の異動先は、同じ局内にあるプロモーション部広報課であった。特に適性があったわけでもないが、全く出来ない仕事でもなかった。日々流れてくるアキラの作品——もちろんそれが機能停止前に作られたストック品であることを、他の職員たちは知らない——を、どう世の中に宣伝していくか、計画を立てる部署である。こんなものはステータスに合わせて実施するだけで十分に成果が出る、ほとほと実のない形骸化した仕事であったが、世の中にある多くの仕事と同様に、これもまた、m class="emphasisDots">あることに意味のある仕事なのだろう。

新しい仕事に就いた当初は、審議会や取締官に拘束されるのではないかと日々ビクビクしていたが、そんな不安は全くの杞憂だった。きっとチャーリーが裏で上手く手を回してくれているのだろう。 アキラの新作に嬉しそうに舌鼓を打つ同僚たちは、まさか俺が地下組織の一員として映画製作に尽力しているとは、微塵も思わなかったはずだ。そして、俺も普段はアキラの信奉者として振る舞った。

だが仕事のない休日は、ミナトミライ跡地の一角で、最小限の人数、最短の時間でもって、映画製作に勤しんだ。 作品のデータは、先日のガサ入れ直前に、チャーリーがコピーを作って手元に保管していた。だから、あとは結末だけだった。かつて揉めていた最後のシーンはすでに決まっていた。俺たちがここにいて、俺たちが作品を生み出した——それを世界に向けて言いたかった。 だから、ホリーの意思が選ばれた。これは、彼を殺したこの世界に対する抵抗の証だった。 俺たちの歩みはかつてなく、強くかつ熱かった。 そして撮影は終わった。クランクアップってやつだった。

「何だ、考えごとか?」 賭博特区内、白の塔の頂上。展望室の一つ上の階。VIPのみが入室を許される特別な部屋。 俺は窓台に腰かけて、外の喧騒を見下ろしていた。昼間の時間帯でも様々な人の行き来があり、夜とは違うカラフルなタペストリーを描いている。 声の主を振り返ると、チャーリーが、グラスを片手にこちらに歩いてくる。「また、お酒ですか。いい加減身体を壊しますよ」「平気だよ。大して強い酒じゃない」 そう言って掲げたグラスには、琥珀色の液体が氷と一緒に輝いている。「で、何だ、撮影が終わって憂鬱になっているのか?」「クランクアップの憂鬱、でしたっけ? そんなんじゃありませんよ。ただ外を見ていただけです」 チャーリーも窓まで近づいて、下を見る。「いい眺めだろう?」「金持ちだけが見れる、嫌らしい景色ですね」 俺は皮肉を言う。「はは、そんなこと言わないでくれよ」「本来俺はここに立ち入るだけのステータスがありませんからね」「まあ、そうだな。でも、そんなバカげたステータスもいずれ終わりが来る」「終わり?」「AIによって、この国の人々はその能力や資質に基づき区分けされているわけだが、それだけだと社会はきっと停滞するだろう。いずれ環境の変化に耐えられなくなる」「そうですか? 自分と似た人たちといるってのは、かなり快適でストレスフリーだと思いますけど」「そりゃあ、楽は楽だろうよ。知りたくないことは知らなくていいし、好きなものだけに浸れるのだから。でもそれだと、新しい刺激がないだろう。いつまでも鉢の中の金魚みたいにくるくる回っているだけだ。そこにあるのは永遠の繰り返しだ。少なくとも世界は有限だからな、繰り返し続ければ摩耗する。環境が変化する。それに対応するためには、人は知らないことを知って、自分の世界を広げていく必要がある」「……理屈としては分かりますけどね、それってかなり大変なことでは?」「そうだよ。かなり大変なことだよ。でも、君だって、ビオスコープに入って、知らない世界を知っただろう? 普通なら君は、彼らと会うことはなかったし、人が何かを伝えることの価値なんざ、気にも留めなかっただろう」

俺は、ホリーを思い出す。取締官のナンジョウの話から類推するに、ホリーのステータスと俺のステータスが交わることは、基本的になかっただろう。だが、彼と会ったことで、俺は一つ、知らない世界を知ることが出来た。

「それなら、初めから全てを俺に説明いただいても良かったのに」「それだと君は恐らく協力しなかっただろう。大事なのは、君が君の眼で見て、自分で判断することだったんだよ。誰かに良い悪いを教えてもらわずにね」「そうかもしれませんけど……でも、随分と危ない橋を渡りましたね。俺が心変わりしない可能性もあったわけですよ?」 チャーリーは俺を見て、ニッコリと微笑む。「AIと私で、君を選んだからね」「……ん? それはどういう?」「ふふ。いやまあ、君を信じるに足る理由があったってことさ」 チャーリーは俺の質問をはぐらかして、窓の外に視線を戻した。「知ってるかね? この区画で働く人たち、レストランのホールや清掃員、受付といった人たちの多くは、この先にある移民街から出勤しているんだよ」 俺は下界をチラリと見る。流れているであろう陽気な音楽が、下から聞こえてくるような気がする。「……何か意外ですね。そんなこと思ってもみなかった」「だから、この区画の中では、国も階級も様々な人たちがごちゃまぜになっているんだ」「なんだか想像がつかないですね。カオスじゃないですか?」「まあ確かに問題は多い。ウェイターが悪さを働くこともあるし、客が差別をすることもある。だがそれでも私は、色んな人が手を取り合っているのを見ていると、どうしても美しいと思ってしまうんだよ」

俺は、外を見下ろすチャーリーの横顔を見る。こういう人がステータスの最上位にもいるんだと、不思議に思う。審議会にも信頼をされたまま、その反旗を翻せる人間。 チャーリーが俺の視線に気が付いて、向いた。「つまらん年寄りの話をしてしまったね。君から頼まれた例の件だったね、今日は」「ええ。お願いごとで申し訳ないんですが、どうでしょうか?」 チャーリーは一拍置いてから、ゆっくりと答えた。「いやね、済まない。君が謝りたいといった受刑者は全員、君との面会を断ってきたよ」「全員、ですか」「私の力不足だ。申し訳ない」「あなたが謝らないでください。悪いのは俺なんですから」 俺は頭を下げるチャーリーに駆け寄る。そもそもこんな依頼をした俺が悪い。取締官として捕まえた人たちに謝りたいだなんて、実にバカげている。「しかし、君も仕事で逮捕しただけだ。事実、彼らは法を犯している」「でも、彼らの作品を踏みにじりましたから、俺は……。彼らの言葉を聞こうともしなかった。それは結局彼らの発言を殺したのと同義です。結局、謝って許されようなんてのは、全くもってムシの良い話でした」 チャーリーは、しばらく俺を見つめてから、言った。「確かに、許すか許さないかは、向こうが決めることだ。それに、君がやってしまったことも、おいそれとは取り消せないとも思う」 チャーリーは空いた手で、俺の腕を軽く叩く。「だが、だからと言って下を向き続けるのは違う」「そうかもしれませんが……」「まあ、聞け。君のけじめのつけ方にどうこうは言わんが、我々ビオスコープにはまだやるべきことが残っている」 そう言って、チャーリーは自身のデスクへと歩いていく。「やるべきこと……」「そうだ」チャーリーはグラスにウイスキーを注ぎながら続ける。「それをやりゃあ、君がこれまで捕まえてきた人たちにも、いくらかは顔向けができるだろう」「……何ですか? 一体」 チャーリーはこちらを振り向いて、ニヤリと笑った。「君はプロデューサーだろう? 映画はまだ完成していない」「え、ええ」「編集はあとどのくらいで終わるんだ?」「芹沢さんが頑張ってくれてますけど……そうですね、あと一、二か月くらいですかね」「ちょうどいいな」「ちょうどいいって何がですか?」「お前さん、映画ってのは、どこで完成するか知ってるか?」「……完成? 編集が終わった時じゃないんですか?」「はは、そうじゃない」新しく注がれたグラスを俺に突きだす。

「映画ってのは、人様に観てもらって、初めて完成するんだよ」

嫌な胸騒ぎがした。チャーリーが言いたいことは訊かずとも分かる。気付かないフリをしてきたが、その実、俺もそれをしたいと思っていた。だがそれはとんでもない決断だった。あまりに無謀と言っていい。選択肢として、考えてもいけないものだった。

「やるんですか? 本当に」「ああ、やる。そのために君と彼女がいるんじゃないか」

まだ暑さの残る夏の暮れ。アキラ二号機が、リメイクした映画の公開日まで、あと三カ月。 酒を飲みほして、チャーリーが言った。

「これ以上、アキラの映画は公開させない。代わりに、俺たちの映画を全国に上映してやるんだ」