Chapter15 テリーとシュピルマン (1/1)

その日以降、俺は欠かさず毎週火曜と金曜に、ビオスコープに通った。この組織の構成員の信頼を得ることは、映画製作の必須条件だったからだ。 だが、一週目二週目と通い続けるうちに、彼らが一向に映画製作そのものには、中々手を出そうとしていないことに気が付いた。 特に、金曜日は製作を目指した会合のはずだったが、やることといえば、アキラ以前の映画の鑑賞会や、その論評会といった具合だった。 俺は疑念を抱いた。こいつらは、口では大層な事を言いつつも、制作することに臆しているのではないか? このまま足踏みをしているようなメンバーなら、使い物にならない。 俺は探りを入れていくことにした。

組織の中で一番過激な発言をしていたのは、『波止場』のテリーであった。俺より五つ若く、短く髪を刈りこんだ目つきの鋭い男であった。彼は口を開けば、俺なら映画が作れる、ネットに公開だって出来ると豪語していた。 組織に潜り込んで二週間目の金曜日、俺は彼に聞いてみた。「君はいつも激しい口調で息巻いているけど、いつになったら映画製作を始めるんだい?」 俺らは、四、五人でテーブルを囲み、ソファに座っていた。テリーはそれまで叩いていた大口を止めて、大きな体躯をこちらに向けた。「何だって?」 彼は、この地下組織の古参の一人だった。他の構成員からの信頼も厚く、面倒見のいい兄貴分であった。だから、俺みたいな新人に口を出されて、少し驚いている様子だった。「だからさ、君は何で映画を作らないんだい? そこまで偉そうなことを言うんならさ」 隣に座るワダさんが、俺の腕を小突いた。さらにその隣にいる学生ホリーの顔にも、緊張が走る。「あんたは何にも分かってないな。俺が映画を作らないだって?」「だって、そうだろう。ここは映画を作る集まりなんじゃないのか? それなのに毎週毎週酒を飲んで、映画の話をするだけだ」 テリーの眉間に青筋が浮かんだ。「君は、ビビってんじゃないのか? 取締官にさ」 グラスの割れる音が響く。テリーが手にしたグラスを握りつぶしていた。一触即発の雰囲気が辺りを支配した。「何やってんだい、一体」 ボーマンが足早に来る。 俺は、両手を上げて、何も知らないとリアクションをする。 テリーは立ち上がり、手を洗うためだろう、トイレへと向かった。「喧嘩はよしてくれよ。せっかくの同好の集まりなんだからさ」ボーマンはそう言って、テーブルの上を片づけ始めた。

その会合のお開きが近くなった頃、俺は、テリーとシュピルマンが話し込んでいるところに、一人突撃した。シュピルマンは、俺が初めてここに来た時にチャーリーにビール瓶を運んでいた痩身の男である。 俺が近づいていくと、テリーはあからさまな敵意を向けてきた。だが、そんなものは気にしない。「さっきは悪かったよ」と俺。 テリーは何も答えず、そっぽを向いた。「あんた、さっきのは失礼ですよ」 代わりにシュピルマンが答えた。「悪かったよ。お酒も入っていたし、それに……」 俺はそこで言いよどんでみせる。「それに?」「俺もさ、映画を作りたくてここに入ったんだ。だから、その、もどかしく思ってさ」 歯の浮くようなセリフだ。素面では絶対に口にしないだろう。 だが、テリーは反応した。俺をチラリと見た。俺は追い打ちをかける。「だって、おかしいじゃないか? ここに集まった皆が皆、映画が好きなんだぜ? どうして誰も作ろうとしないんだ?」「何を言ってるんですか? 著作禁止法を知らないわけがないでしょう、あなた」「いいや。よく知っているし、その意味も十全に分かっている。あの法律が禁止しているのは、制作して公開することだ」「ええ」「いいかい? 制作するだけなら何の問題もないんだよ、本来なら。製作だけでも、まずはやったっていいじゃないか? あの法律の趣旨は、公開して流布することを禁じているんだから」 シュピルマンはテリーを見た。テリーも彼を見返した。それから二人で小さく失笑して、俺に向いた。「あんた、バカじゃねえのか? そんなことは俺だって分かってる。だがな、取締官ってやつはそんなに優しくはねえんだ。映画を作ってるってことがバレた時点で、もう終いなんだよ」 俺はつい、鼻白んだ顔をしてしまう。 テリーはそんな様子を見てか、俺に手の平を見せた。先ほどグラスを割って傷だらけになった右手である。「この右手のな、小指、曲がってんだろ?」 見てみると確かに、小指の第一関節が外に向かって、ねじれていた。「これはさっきグラスを割ったせいじゃないぜ。取締官から受けた暴力でこうなったんだ」「君は、取締官と接触してるのか?」 俺は声を上げた。この組織にも取り締まりの手が迫っているのか?「いや、もうずいぶん昔の話だ。俺が、こいつ、シュピルマンとここに入る前だ。五年は昔の話だ」「そうか。で? その傷は映画を作ってやられたのか?」「そうだ。俺もシュピルマンも映画を作るだけなら何の問題もないだろうと、地元の奴らと一発ぶったんだ」「ほう」思ったよりも骨があるようだ。俺は感心の声を漏らす。「だがな、映画の制作には多くの人間が絡んでくるんだ。どこからともなく俺たちが映画を作っていることが漏れたんだろう。それにだ、公然と街中でカメラを回してみろ。どう考えたって怪しいじゃねえか」 俺は頷く。テリーは段々と高揚してきて、口調が滑らかになる。「そんな時だ。クランクアップをして、俺が家で編集をしていると、取締官が二人でやってきたんだ。俺はまだ何もネットに公開していない、にも関わらずだ。で、そいつは俺に言った——お前は禁止されたことをやっているって。俺も言い返した。公開はしていないから何も問題はないって。 それから、あいつらはどかどかと俺の部屋に入って、パソコンを見る。んでもって、言うんだ。お前の作った作品は下らないって。俺はそんなことはないと主張した。だが、アイツらには内容なんか関係ないんだ。俺の事情なんか何一つ関係ない。観ることもしないで、クソ呼ばわりだ。肩をどつかれて、足蹴にされた。抵抗しようとしたら、その瞬間にこうだ」 テリーは、殴る蹴るの動作をしてみせる。「俺だって、喧嘩に自信がないわけじゃない。だけどな、相手も二人掛かりだった。だから、ボコボコにされた。パソコンもぶっ壊された。それでこうなった」 もう一度右手の小指を見せる。「それにここだって。見てみろ。傷口を縫ったんだ」 テリーは自分の右目の瞼を、俺に見せつける。確かに数センチほどの傷跡があった。 俺は息を吐いた。取締の区域は、都州単位だった。だから、ここヨコハマは俺の管轄外だし、この件についても全く知る由はない。だが、自作品公表前の下調べはあっても、取り締まりそのものは、限りなくグレーだ——もちろん管轄区域ごとに、執行にかかるスタンスの違いがあるとは言え。「それは、災難だったな……」 俺は呟いた。 テリーは、俺を見下ろすように言った。「そうだ。アレは酷い経験だった」「で、作品はそれでおじゃんになったのか?」「いや、俺もバカじゃない。作品のデータを、こいつのパソコンにも保存しておいたんだ」 テリーはシュピルマンを指差す。シュピルマンが頷く。「運よくこいつの家は捜索されなかった」「じゃあ、完成した作品があるのか?」「ああ、ある」「公開は?」「何言ってんだ。公開はしてない」「そうか。そうだよな。それが賢い」

俺は、笑みがこぼれそうになるのを堪えた。この地下組織で作品を仕上げた奴らがいる。大きな鉱脈を見つけた気分だった。こいつらは、頼りになるかもしれない。だが、肝心の作品の質が問題だ。

「一応確認なんだが、その作品を見せてはもらえないか?」 二人は顔を見合わせた。少しばかり戸惑っているようだった。俺は彼らの背中を押してやる。「もちろん、作品のデータを貰うわけにはいかないからな。そうだな、例えば、ここで上映会をやるってのはどうだい? それなら作品が流出することもないだろう?」「お前、何だってそんなに観たいんだい?」「気になるじゃないか。せっかくここに、果敢にも映画を一本作り上げた奴らがいるんだ。それは凄い事なんだぜ?」 二人はまんざらでもない様子で俺を見返す。「俺も映画が作りたくて、この組織に入ったんだ。だから、自分たちで作った映画ってやつがどんなもんなのか、この目で見てみたいんだよ」 テリーは口を開いたが、言葉は出てこなかった。俺の提案について、逡巡しているようだった。代わりに、シュピルマンが言葉を慎重に選びながら答えた。「この件は、そうですね、僕らだけじゃ決められないですよ」 俺は頷く。「マスター・ボーマンにも確認しないと……ここで上映することも含めて、彼がここを取り仕切っているんですから」「それもそうだ。いや、悪かったよ。確かに急な頼みだった」俺は二人に頭を下げた。「だが、もしよかったら是非考えてみてほしい」 テリーは、むつかしい顔をしている。シュピルマンも同様だ。「確かに、今日の暴言も含めて、本当に済まなかった」 俺は再度頭を下げて、それから手を差し出した。

「これからも、どうかよろしく」

少しの間。 そしてテリーは小さく頭を振って、まだ傷の乾かない右手で俺の手を取った。