Chapter30 墓参り (1/1)

一月の中旬。身を刺すような寒さの中、俺とワダさん、それとボーマンとマチルダは、郊外にある大きな霊園に来ていた。

その墓地は小高い丘の上にあり、辺り一面には茶枯れた草の絨毯が敷かれ、空には鈍色の分厚い雲がどこまでも広がっていた。 ひと気まばらな、寂しい場所であった。

俺たち四人は、高さ二メートル強、横幅十メートルはある黒い石板の前に立っていた。それはまるで壁のようだったが、よく見れば沢山の字が刻まれていた。亡くなった者たちの名前と命日である。 墓を持てない階級の者たちは、こうやって共同墓地の共同墓碑に埋葬される。

インジン・フレア・カレハンドレ

それがホリーの本当の名前だった。「彼は、移民だったのか」 俺は呟く。「移民二世です」 とマチルダが答える。

彼の葬儀は、十日ほど前に執り行われた。 もちろん、俺らビオスコープの面々は行っていない。 だが、マチルダは別だった。彼女は、ホリーと同じ高校の同級生だったのである。彼女は唯一、彼の死を知れる関係にいて、俺たちにそれを教えてくれたのだ。だから、俺たちはこうやって、数人ずつ順番にホリーの墓を訪れていた。

俺たち四人は、黒い板の前で佇み、手を合わせた。 俺は閉じていた目を開き、改めて、彼の名前を見る。大勢の名前が並んでいた。まるで、映画のエンドクレジットみたいだった。

風が吹く。冷たい空気が鼻孔を突く。俺は黒いコートの襟を立ててマフラーを寄せる。丘を上がってくる別の集団が目に入った。「どこかに入ろうか、ここにずっといたら風邪を引いてしまう」 ボーマンが口を開き、俺たちはその場をそこそこに後にした。「しかし、何とも言えないね。学校のプールなんだろう? どうしてそんなことを」 ボーマンが歩きながら呟く。俺はマチルダを見る。涙目のマチルダは首を横に振った。 ホリーは、学校のプールで溺死した状態で見つかった。当初は事故かとも考えられたが、自宅から遺書が見つかり、自殺だろうと判断された。「このクソ寒い中、水なんか張っとくなよな……」 俺も呟いた。 ワダさんは一人、何も言わない。

俺たち四人は霊園を出て、最寄りの駅前の喫茶店に入った。 木目調の壁にウッドテーブルとウッドチェア、観葉植物が邪魔にならない程度に配置された、落ち着いた空間だった。 マチルダはホット柚子ウーロンを、残りの三人はコーヒーを頼んだ。「あいつ、移民だったからか、何て言うか、クラスでも少し浮いてたみたいで……」 マチルダが、給仕された飲み物をかき混ぜながら、ゆっくりと話し始めた。「私は隣のクラスだったし、虐められてたってほどじゃないとは思うんだけど……でも、あいつバカだから、昔の映画を周りに勧めたりしたみたいで……変な奴だって噂になってて……私は、たまたま図書委員であいつと一緒になったから……」「それで友達になったわけか」ボーマンが口を挟む。「私は、学校じゃ隠してたから……昔の映画が好きだってこと。だって、そんなこと言ったら普通はバカにされるから。だから、あいつとは学校ではそんなに絡まないようにしてて……」 マチルダの目から涙がこぼれそうになる。隣に座るワダさんがそっとマチルダの手に手を重ねた。「あいつのクラスに一人、嫌な奴がいるんです」「嫌な奴?」口を付けたカップ越しに俺は尋ねる。「すっごくきれいなんだけど、それだけの奴。みんなからの注目を浴びてないと機嫌が悪くなるような奴」「ああ」「ホリーもバカだから、他のバカと一緒に、そいつのことが気になってたみたいなんです。でも、あいつには何もないから……」「何もないってことはないだろう」とボーマン。「彼女の気を惹こうとして、あいつ、自分が映画を作ってるって言っちゃったらしいんです」 俺は顔を上げた。「映画を作ったって言っちゃったの?」 隣に座るボーマンが身を乗り出し、声をひそめて訊いた。店内の客は、俺たちを除き、二、三名だった。 マチルダは小さく頷いた。それから小声で続けた。「でも、そんなの嘘っぱちだって、みんなから笑われてました。そっからです、何かあいつがいつも思い詰めたみたいになったの……そんなこと言ったって、誰にも信じてもらえないし、バカにされるのがオチなのに……あいつ、何でそんなこと言ったんだろう……」 マチルダが口をつぐむ。誰も何も言わない。「私、あいつに言ったんですよ、あんな女のどこが良いんだって……もっとあいつと学校でも話しておけばよかった……何で……」 マチルダは小さく嗚咽をこぼした。俺たちもそれ以上聞くことはしなかった。ワダさんが彼女の肩を抱いた。

その時、俺は気が付いた。 俺から見て右奥の壁際に座った男の存在に。 そいつは、確かにいた——さっきの霊園にも。 もちろん、ただの墓参りの帰りなのかもしれない。 だが、俺は解せなかった。 彼は霊園でも、手を合わせることをしていなかった。 花も持たず、ただ、遠巻きに墓の壁を見つめていた。 誰の名前も探してはいなかった。

さっきのマチルダの話が本当なら、ホリーが映画製作をしていたことがどこからか漏れていてもおかしくはない。しかし、まだ確証はない。普通、映画なんかを作っていることは吹聴しないし、ましてやそれをそのまま信じるような能天気もいない。 ワダさんもボーマンも特に気にしていない様子だった。 俺は横目で、その男を観察する。薄くなった頭髪に、落ちくぼんだ暗い眼元、茶色のコート、青いシャツ。歳は五十くらいだろう。 彼がもしも取締官だとしたら? もしもビオスコープにまで手を伸ばしてきたとしたら? いや、もしかすれば、すでにかなりの調査がされている可能性もある。

俺は、考える。そして、決断した。