Chapter8 アキラ (1/1)

アキラは部屋の最奥にあった。 そしてそこに向かう途中、俺は小さな立方体の区画があるのに気が付いた。 ちょうど四角い箱を、そっと、この部屋の真ん中辺りに置いたような恰好だった。大きさは六畳一間くらいであろうか。そして、俺から見える右側の壁面には、扉が取り付けられていた。「ここは?」 オードリーに尋ねる。彼女が振り返った。「その部屋は、通称、娘のための部屋です」「……ん? なんだって?」「娘のための部屋、と呼ばれています」 一体誰に呼ばれているのか、と聞きたくなるのを堪えて、俺は続きを促す。「イチカワ取締官は、アキラ誕生の経緯をご存知ですか?」「まあ、常識の範囲では。人の手による物語は、プロバガンダや大衆の偏った欲求に、慮り過ぎるからだろう? それは結局、思想的な歪みを引き起こし、争いや戦争の火種になりかねない。だから、人の手による創作物は禁止にして、人工知能による管理に移行したんじゃないか」「そうです。特に大衆芸術と呼ばれている映画は特にその傾向が顕著です。映画の歴史は、その始まりから嘘にまみれていました。黎明期は、飛び出す機関車や物を消す魔術など、人々を騙すことを目的にしたびっくり箱。戦前戦中には、戦意高揚のためのニュース映画。その後の資本主義社会においては、安易な大衆迎合主義による劣化コピーの粗製乱造。こういった歴史を鑑みれば、創作という神聖な行為がどれだけ人間の手に余るかは、火を見るよりも明らかです」「確かにね」「しかし、それは著作を禁じた経緯なのです。人工知能アキラの生みの親は、この国有数のテック企業ATGの社長、ムツミ・シラトビ氏です。それはご存知ですよね?」「もちろん」「では、アキラを作った理由は知っていますか?」「理由? だからそれは、人の手による著作を禁止して、その代わりに……」

「いいえ、違います。そもそもアキラが開発された時期は、m class="emphasisDots">著作禁止法の制定よりもずっと前からなのです」

それは、知らなかった。俺は返答に詰まる。「では、何故、ムツミ氏は禁止法制定前からアキラを開発していたのか。その答えが、この部屋、と言われています」 オードリーは、小さな部屋を手で指し示した。まるで、ツアーガイドだな。だが、彼女はいたって真面目な口調だった。俺は茶化す気持ちを抑えて、話を聞く。「ムツミ氏の娘さんは、酷く病弱でその生涯のほとんどを病室で過ごしていたそうです。もちろん外に遊びに行くことも出来ませんでしたので、彼女は室内で、小説や漫画、映画などを見たりして過ごしていました。しかし、そのうちに彼女は手に入るどのコンテンツをも楽しめなくなってしまいます。それは彼女があらゆる物語に触れてしまったせいかもしれませんし、巷にあった人の手による物語の脆弱性ゆえだったのかもしれません。しかし、どちらにしても、彼女を楽しませるものは、もうこの世には存在しなくなってしまったのです」「ははあ、そういうことか」と俺は一人ごちる。「ムツミ氏は、自分の娘から笑顔がなくなったことを嘆きました。そこで、彼女を楽しませるための物語を作ろうと、アキラの開発に乗り出したのです」 それが結果的に、この国の娯楽を一手に担い、完璧な満足を人々に与えるアキラになったわけか。俺は感慨深いものを感じる。「で、この部屋がその娘さんの部屋だったってわけかい?」「ええ。もちろん本物ではなく、レプリカですが。そして、ムツミ氏の意向を踏まえて、この部屋で再生された映画などが、全国に配信される仕組みになっています」「ふーん」 俺は素直に関心した。素晴らしい愛をそこに感じた。父親から娘への、これ以上ない究極のプレゼント。「じゃあ、私が、アキラに代わる作品を完成させた暁には、この部屋に入るわけだね」「そうです。ですので、それまでの立ち入りはお控えください」 俺は手を上げて了承する。 オードリーは再び歩き出した。俺とリイもそれに着いていく。 娘の部屋の、すぐ奥に、天井まで聳える鉄の塊があった。

それは白い壁面に半分だけ埋め込まれたパイプオルガンのようだった。その真下からは、モグラが土を掘り返したような管が幾本も伸びていて、先ほどの娘の部屋へと繋がっている。そしてまたそのオルガンもどきは、天井ほか四方八方の壁にも太いパイプと管をわせていた。 もちろん、弾くための鍵盤なんかなかった。代わりに、鍵盤がある箇所には、せり出した一枚の金属板が備わっていた。

「これが、アキラです」

そう言って、オードリーは金属板の前に立った。 俺は見上げた。この黒ずんだ銀色の塊が、アキラ。

「これが、アキラ」

俺はバカみたいに繰り返した。 全く、全くと言っていいほど、実感が湧かなかった。この金属の山の内側で、あれほどの物語が生み出されるのか? あまりにイメージからかけ離れていた。正直、戸惑いを感じた。だが、俺の信仰心は、そんな思いを微塵も顔に出させなかった。「本来は、この操作卓で動かし」オードリーが金属板から離れ、数歩先にある壁面の一部に手を当てた。「こちらから作品が、指定された媒体で出力されます」 彼女が触れた壁の一部——縦横三十センチくらいの正方形のパネル——が内側から開いた。奥は暗くてよく見えない。「わざわざ媒体化するのか? ディスクとかレコードに? データをそのままオンラインには流さないで?」「ええ。ハスミ機関による診断が必要なので、それは出来ないのです」「うーん……? いや、ハスミ機関は独立した批評機関だから、分からなくもないけれど……でも、ハスミ機関とアキラをオンラインで繋いだっていいんじゃないか?」「ええ。でも、そこには技術的な深い事情があるのです」 オードリーが微笑む。人工的な口角の上がり、瞳の輝き。 俺は、彼女の今の返答が、コンマ数秒、ホントに僅かだが、遅れていたような気がした。 俺は、リイを振り返って見る。リイには何の反応も見られない。 演技をするために作られた彼らにも、何かしらの理由で挙動が乱れることがあるのだろうか——まるで、人間みたいに?「しかし、今はご存知のとおり、機能が停止しています」 ガイド役の言葉で、俺の思考は断ち切られた。 アキラを見上げる。太い黒い樹が何本もの枝を天に向かって伸ばしている。「いつから止まっているんだ?」「数か月前からです。しかし、いきなり全ての機能が停止したわけではありません」「段階的に、と聞いているよ」「ええ……制作速度が段々に落ちていき、結果、完全に沈黙をしました」「……参ったね、これは」 俺は一人呟く——本当に困ったものだ。一体何が原因で止まってしまったのだろう。「君は、理由は分からないの?」 訊かれたオードリーは、俺をジッと見つめる。逡巡しているみたいだった。それから首を小さく横に振った。「そう……君たちはさ」俺は、リイにも体を向ける。「もともとアキラに造られたわけだろう? 何か思い当たることはないのかい?」 かつての映画は、俳優も含めたフルCG製ではなく、アキラが蘇らせた過去のスター俳優たちが出演していた。彼らは監督アキラのマリオネットだったのである。 オードリーは俺の質問に対して、自身の頭を指差しながら答えた。「確かに、かつては私たちも彼と繋がっていました。けれどもそれは随分昔の話です。私たちが解放されてから、すでに十年以上が経っています。今の彼の心境は、私たちには図りかねます」 そしてオードリーは少しだけ悲しそうな顔をしてみせた。これもまた仕込まれた演技なのだろうか。「では、イチカワ取締官、本日のツアーは以上で終了です。この後、ハスミ機関の使い方や今後の連絡方法について……」

オードリーに別れの手を振られながら、俺とリイは帰りのエレベーターに乗った。 リイはアキラの案内の最中、一言も発しなかった。もちろん普段からしゃべるような奴ではなかったが、俺は彼の感想が気になった。「どうだった?」「どう、と言いますと?」「いや、あのアキラに会ったわけだよ? 機能を停止しているとはいえさ。君らにしてみたら、元上司だったわけだろう? 何か思うことはないのかい?」「いえ、特に……我々は、ただ生み出され、言われた通りに演じるだけの存在ですから」「……退屈な存在だね、君たちは。上司への愚痴や不満もないってわけか。つまらんよ、実に」「つまらない、ですか」「そうだろう。結局一人で仕事しているみたいな気になるぜ。せっかく一緒に仕事をするっていうのに」「よく分かりませんが……」 俺はリイの顔を見つめる。彼らはやはり機械に近いのだろう、たとえ有機的な生命体だとしても。むしろ人の形をしているからこそ、勘違いをしてしまう。 俺はあきらめて、エレベーターの窓から外を見た。「ただ……ムツミ氏がアキラを作った理由ですが」 リイが続けた。俺は彼に向き直る。「彼の娘さんは、本当にアキラを必要としていたのでしょうか?」「……どういう意味だい?」「いえ……彼女が笑わなくなった原因が、物語の面白さだったのか、私には分からないのです」「何だよ。そういう意見を言えるんじゃないか」 俺はつい笑みをこぼしてしまう。「いい話じゃないか。父親が娘を想って開発したんだよ? 親子ってのはそういうもんなのさ」 俺は父親でもないくせに、偉そうに高説を垂れた。複写生命の彼には、こういった機微は分からないかもしれない。だが、会話が出来るだけでも上出来だ。「そんなものでしょうか」 リイは、それだけ呟いて、また黙ってしまった。そしてエレベーターは一階に到着し、俺たちは帰途に着いた。